異国の丘
先日新聞で、「引き揚げ港」であった舞鶴での公演が報道されていました。
「引き揚げ」といって通じるのは、私の世代まででしょうか?
たぶん私の子どもの世代にとっては死語となってしまっているのではないでしょうか。
「引き揚げ」で、6年前はじめて舞鶴での散骨をお手伝いしたときのことを思い出しました。
ご主人の散骨をされたタエさんは、赤いコートを羽織ったかわいらしいおばあちゃんでした。
戦時中を満州で過ごされ、ずいぶんとハイカラな女学生だったそうです。
戦後、ご主人様と必死の思いで引き上げてこられたのが、ここ舞鶴だったそうです。
子どもさんのない彼女は、親戚の方と、お弟子さん(お花の先生)だという二人の女性とともにはるばるやってこられ、感慨深げに船べりにたたずんでおられた姿は今も忘れられません。
散骨を終わって、引き揚げ記念館にお連れしたり、ご一緒にランチをしたり、すっかり仲良くさせていただきました。帰られてから、お菓子を送っていただいたり、それからは毎年年賀状もいただくようになりました。
タエさんの地元でも公演があることが分かったので、「異国の丘」のチケットを送ることにしました。
シベリア抑留の話だそうですが、同じ時代を生き抜いた彼女にも楽しんで(と、いうにはあまりにつらい経験だったのかもしれませんが)いただければと思います。
ハイカラなタエさんには、きっとミュージカルの踊りも歌も楽しんでいただけると思うのです。
「引き揚げ」と一言で言ってしまうにはあまりに多くの人々の「悲しみ」や「苦悩」、「怒り」や「慟哭」、戦争は終戦の日で終わったのではないことを、子どもたちの世代に伝えていきたいと思います。
紅葉狩りのついでに、舞鶴引揚記念館にお立ち寄りください。