父のお骨1
病気が長かったので、母をはじめ家族はみな心の準備はできていたと思います。父親とあまり仲良くなかった私はもちろん。
しかし、斎場で待つ時間が長かったこと、出てきた彼の変わり果てた姿、むごいですよね。
遺体を焼いてお骨で遺族に見せるなんて。
この世のものでなくなったんだと、存在自体が否定されたんだと、涙がこぼれ落ちました。
その瞬間が私にとっては、一番悲しかったです。今でも思い出すと涙が出ます。
メモリアル商品を取り扱っていますから、母と相談して、お骨を少しだけ身近において置けるものとして、陶器の小さなつぼを選びました。
つぼの下に台がほしいね、ということになり、敷物でもいいなと話をしていたら、母が「ネクタイがたくさんあるのよ。あれでできないかしら」と言い出しました。
18歳で家を出た私にとって、父の背広姿として記憶に残るのは、黒々とした髪の毛をポマードでオールバックにして、笑っている父、ネクタイを締めていたことすらはっきりしません。
晩年どんなネクタイを締めていたのか?
母が両手に持ってきたネクタイを見ると、どれも安物で、使い古されていました。
仕事柄靴にはうるさくて、銀座ヨシノヤの靴代を貧乏な家計から捻出するのがつらかったと母は言っていましたが、服やネクタイはどうやら安物だったようです。
普段は、ボタン付けくらいしかしない私が、珍しく針と糸を持ってチャレンジです。
「ネクタイってバイアスなんだ!伸びてくるし、切るのも縫うのもしにくいなあ!」母は横で呆れ顔。
縫い目は曲がりましたが、何とか一応敷物らしくはなりました。
ミニ骨つぼを販売していると、やはり、敷物はついていないのですか? というお問合せを時々いただきます。
これ以降、そんなお客様には、是非故人様のお洋服やネクタイの生地でお作りになってくださいと申し上げることになりました。
へたくそでも、ひと針ひと針縫ってみてください。ご家族とお話しながら、思い出しながら。
母とごちゃごちゃいいながら、縫ったこと、それがまた父との思い出になりました。