「みんなちがって、みんないい。」…詩にそう詠ったのは、明治の童謡詩人・金子 みすゞでした。手元供養の本質にも通じる、あたたかい言葉です。
手元供養がわが国に生まれて15年あまり、その歴史はまだ浅いものです。しかしながら、この金子みすゞの詩が永きにわたり人々に愛されてきたことを見ると、手元供養の考え方を受け入れる素地は、すでにはるか以前から日本人の心にあったのではないかと思うのです。
近年ますます広がりを見せる手元供養。今回は、その歴史をひもといて、日本人の心と手元供養のつながりについて考えてみたいと思います。
手元供養とは
「手元供養」とは、愛する方のお骨をご自宅など身近な場所において、心のよりどころとしながら故人を偲ぶという、新しいスタイルの供養です。手元供養の歴史は、はじまってからまだ15年ほどですが、いつまでも大切な人と一緒に過ごせる弔いのかたちとして、段々と定着しつつあります。
「供養」というのは元もと「死者の魂に祈りを捧げ、来世での幸せを願う」といった意味の仏教用語ですが、手元供養は「供養」の意味はそのままに、宗教/宗派の枠を超え、よりパーソナルで自由な弔い方として広まってきました。
顔や声が人それぞれに異なっているように、故人への想い、死の悲しみもご遺族お一人お一人すべて一様ではありません。そうしたご遺族それぞれの心のままに、ご自身らしく、また故人にふさわしいかたちで供養していく…それが「手元供養」なのです。
手元供養の始まり
手元供養の歴史の始まりは、今から15年あまり前のこと。少子化や高齢者の一人暮らしの増加などの問題が、社会的な問題として取り上げられている時期でした。
個人の生き方や個性を大切にする傾向も強まり、ライフスタイルも多様化がますます進む中、宗教的な概念や従来のしきたりなどにとらわれない、新しい供養の方法として登場したのが「手元供養」だったのです。
以来、手元供養は時代の移り変わりとともにその認知度を高め、ますます注目を集めるようになってきました。
手元供養の広がり
近年、人々の生活により深く浸透してきている手元供養。手元供養の歴史はまだ浅いですが、現在では、様々な目的で多くの方に利用されるようになっています。
ここでは、手元供養が広まった背景をご紹介いたします。
ご遺族の悲しみを癒すために
手元供養を選ばれる目的としていちばん多いのは、「大切な人を亡くした悲しみを、ご遺族がご自身で癒すため」というもの。
一般に国内でもっとも広く行われている仏式の葬儀では、四十九日の法要の際に納骨することが多いようです。日本では古い歴史の時代から、納骨までお骨をご自宅において、手を合わせ別れを惜しむ習慣を守ってきました。
しかし故人への深い愛情のために、「お骨と離れたくない」「ずっと一緒にいてほしい」という想いを抱かれる方も少なくありません。こうした想いを叶え、ご遺族が悲しみから立ち直るための供養のかたちとして、手元供養はたくさんの方に受け入れられています。
お墓に代わるものとして
これまでの長い歴史において、お墓は先祖のお骨を納め、子孫が代々受け継いでいくものとされてきました。
しかし近年では、「不況や介護費の増加等で経済的に厳しい」「後継者がいない」「子供に負担をかけたくない」などといった様々な事情から、お墓を建てないという方や、すでにあるお墓を自分の代で“墓じまい”したいと考えられる方が増加しています。
そうした方が、従来のお墓に代わるものとして手元供養を選ばれることも多くなっています。
みんなちがって、みんないい。
今後ますます加速すると思われるライフスタイルや価値観の多様化にともない、手元供養と日本人の心のつながりもより深いものとなって、その歴史はこれからも長く紡がれていくことでしょう。
冒頭にご紹介した「みんなちがって、みんないい。」という金子みすゞの言葉のように、すべてのご遺族がそれぞれに違うご自身の想いを受けとめ、ご自身らしい供養のかたちを見つけていかれること…それが未来創想の願いです。