大阪市の天王寺区に「一心寺」というお寺があります。文治元年(1185年)の発祥といいますから、実に800年以上もの長い歴史のあるお寺です。
ここのお寺がほかと違ってユニークなところは何といっても「骨仏(こつぶつ・こつぼとけ)」です。
こちらでは宗派を問わず遺骨を受け入れていただけますが、10年にいちど、それらのお骨をもとにして仏様が建立されるのです。
骨仏を行っているお寺は全国にいくつかありますが、やはり一心寺がその筆頭に挙げられます。
明治20年に最初の仏像が作られてからこれまでに13体を数えるということです。
知人の中にも、まだご健在のご両親から
「私たちが死んでもお墓はいらない。その代りに骨は一心寺に収めるように」
と、申し渡し(?)を受けている人がいます。
こちらの場合は、昨今のお墓に関しての風習の変化を考慮されたことに加えて、死んでからも子供たちに手間をかけさせたくないというご両親のお心遣いによるものだそうです。
親子とも元気なうちにこのような取り決めを済ませておくという、なんともスマートなことですね。
一心寺への納骨は年を追って増えているということですから、これなど私たちが手がけている自宅供養へのご要望が多くなっていることと同じ背景があるものと思われます。
とはいえこれらはどれも残されたご遺族の気持ちの表れにほかならず、例にあげた知人のようには完全に割り切れないという方もいらっしゃいます。
お墓を持つことは現実的にむり。供養が続けられる骨仏は理想的だけれど、それはそれで故人と縁遠くなってしまいそうで寂しい・・・。
そのような場合は「分骨」というのも方法かも知れません。
たとえば分骨をして、ひとつは骨仏としてお納めしていつまでも供養を続け、もうひとつは遺骨ペンダントにするなど手元に残していつでも故人を感じている。
最近では、墓地事情の変化とともに「分骨すると霊魂も分裂してしまうので故人は成仏できない」といった、いわば迷信が口に上ることも少なくなってきました。
大切な人のご供養に、これといった決まりはないはずです。
故人への思い、経済的な状況、時間的な状況、それらを整理して考えてみれば、分骨などを含め無理のない最善の方法というものが自ずと見えてくるのではないかと思います。

