折にふれ申しあげていることですが、昨今は故人を供養するスタイルも様々で、私どもに寄せられるご相談も多岐にわたります。中でも分骨のご要望は年々増えています。分骨とは一般的にはご遺骨の一部を他のお墓に納めることをいいますが、そこにはどのような意味があるのでしょうか。人それぞれ分骨の意味するところは異なるようです。
(なお、念のために申しあげておきますと、分骨は法律上はもちろん、宗教面でも悪いことではありません。亡くなって49日を過ぎたお骨には魂は残っておらず、残されたご遺族の思いだけがこめられています)
分骨の事情
皆様それぞれ分骨の理由をお持ちです。
故人のご遺骨をご家族のほかに兄弟姉妹のお墓に納めたい。また、ご遺骨の一部を本山納骨したり骨仏としてお納めたりする。
これにはどちらかというと故人の生前のご意志が大きく反映されるようです。
反対に、残されたご遺族の希望で分骨される場合もあります。
いつまでも手元に置いて最愛の人を感じて供養し続けたい。そこには寂しさを和らげたいという思いも込められているでしょう。人によっては、社会とのつながりが希薄で、個人が唯一の心のよりどころということもあるかもしれません。
また、もう少し現実的なこととして、ご高齢となった方にとって、遠くのお墓にお参りをすることが難しいというケースもあります。いくら故人を大切に供養したい気持ちが強くとも体がいうことを聞いてくれない。「砂埃が積もっているだろう、草も生え放題だろう」と心の中で故人に詫びているよりは、いっそ近くにお墓を建ててしまった方がよほど故人も喜ばれるでしょう。
さらには私どもが提唱しております自宅供養という方法もございます。 ますます高齢化が進む中で、このようなご事情は増えていくのではないでしょうか。
分骨は独断で行わない
ほかでも述べましたとおり、分骨には法律上の定めがあります。しかし、これはしかるべき手続きに則って行えばそれで済むことです。
むしろご遺族やご親族の方々との感情的な面での相談や合意が重要となるのではないでしょうか。皆様それぞれが故人を想っていても、その想いの違いからもめ事になってしまっては、それこそ悲しいことです。
世の中がどのように変化しようとも「人が死ぬ」ということだけは変わりがないものです。だからこそ、分骨をはじめとした供養のあり方には、世の中の状況が反映されているように思えてなりません。